東京高等裁判所 昭和42年(ネ)779号 判決 1971年2月24日
控訴人
株式会社田野井製作所
代理人
光石士郎
河鰭誠貴
被控訴人
大元聖司
代理人
錦織懐徳
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
1控訴人の専用実施権、本件特許発明の特許請求の範囲および被控訴人の本件物件の製造販売に関する事実は、当事者間に争いがなく、また、本件特許発明が、つぎの要件から成るものであることも(その解釈は別として)、争いのないところである。
(一) 溝なしタップであること
(二) 円筒形の柄に接続されたタップの外周に一連の連続螺旋を設けてあること
(三) 連続螺旋は、半径方向に二番取りした扇形部で形成されること
(四) 前記螺旋は、タップの長手方向の軸線と一致するすべての平面上で断面は一様でありネジ山の深さは等しいこと
(五) 前記扇形部は、次第に増してゆくネジの外径、ピッチ径および谷径が次第に減じてゆくネジの外径および谷径に徐々に接続されること
2当裁判所は、被控訴人の製造販売する溝なしタップ(本件物件)は、本件特許発明の右の要件のうち(三)および(五)を具備しないから本件特許発明の技術的範囲に属しないものと判断する。その理由は以下説明するとおりである。
3まず、本件特許発明の右(三)の要件について
「半径方向に二番取りした」の意義は、成立に争いのない甲第二号証(本件特許発明の特許公報)の「発明の詳細なる説明」の欄に「第二図及び第三図に示すように傾斜部分の螺旋及びその総てではないとしても、これに近接する螺旋の大部分はタップのネジの外径、ピッチ及びネジの谷径を変化して形成する。第二図に示すように三個の直径の変化はこれ等の三個の直径を次第に減ずることによつて各螺旋の三個の区画A―B、及びC―Aで一様に生ぜしめられ、三個の直径は半径方向の線Aにおいて最大となり、A―Bの関の稍中央の点において直径は最小となり次第に直径を増し線Bにおいて最大となる。同様の直径の変化は各螺旋の区画B―C及びC―Aにおいても繰返される。……便宜上各扇形部を通じてネジの外径、ピッチ及び谷径のこの変化を「半径方向の二番取り」と定義する。」(特許公報中のこの引用部分を、以下「第一段の説明部分」という。)と記載されていることから明らかなように、連続螺旋をタップの軸を中心として観察した場合、その形が真円ではなく、ネジの外径、ピッチ径および谷径の三者とも周期的に半径方向内側に変位させられていることを指す(この点の解釈については、当事者間に争いがない。)。
「扇形部」とは、特許公報の右第一段の説明部分およびそれに続く「数個の扇形のこの「半径方向の二番取り」は、若し連続螺旋を平面上に展開したとするならば、螺旋は前記平面に対しサインカーブを描く。」(特許公報中のこの引用部分を、以下「第二段の説明部分」という。)との記載から判断して、前記A―B、B―C……の各区画の扇形の外周が、二番取りによつて円弧でない形すなわち半径方向内側に変位させられた形を呈するようにされている残部をいうのであつて、しかもその円弧でない半径方向内側に変位させられた外周形状は、数個の扇形部を連続せしめてその外周により連続螺旋を形成した場合に、連続螺旋を平面上に展開したとするならば、螺旋が該平面に対しサインカーブを描くようなものでなければならない。
ここにサインカーブとは、特許公報の第一段の説明部分中に「A―Bの間の「稍」中央の点において直径は最小となり」とあることおよび本件特許の溝なしタップが傾斜部分をもつものをも包含する旨の公報の記載から考えて、必ずしも厳密なサインカーブを意味するものとは思われないが、「サインカーブ」という学術用語を用い、「……サインカーブを描く。」と断定的に説明しているところから判断して、厳密なサインカーブの観念から大きくはずれるような解釈を許す趣旨とは認められず、すくなくとも軸に対し波長および波高が正負にわたつておおよそ等しくほぼ対称の曲線を指すものと解釈すべきであり、それは同時に、後記本件特許発明の(五)の要件とあいまつて、連続螺旋の二番取りが半径方向の変位の動きを、増減ともに、滑らかに、かつ、ゆるやかに行なうものであることを示していると解するのが相当である。そして、このようなサインカーブを描く二番取りタップを研磨操作(研磨車)により製作することには、後記凹み状の外周形状の場合を除けば、格別の困難を認めることはできない。
また、以上特許公報の第一段、第二段の説明部分から理解しうるように、本件特許の「半径方向の二番取り」においては、三個の直径は、いずれも「半径方向の線A、B……」において最大、「A―B、B―C……の関の稍中央」において最小となるように、回転角の変化に伴い滑らかにゆるやかに絶えず増減するものであることが明らかである(この点で、回転角の変化に伴う半径の変化のない円孤部分を有するタップは、本件特許発明の要件を具備するものではない。)。
4本件特許発明の前記の要件について
この要件における「すべての平面」の意味は、本件特許公報上二様の解釈が可能であつて、そのいずれをとるべきかの断定は困難であるが、この点は本訴の結論に直接の影響はない。
この要件に関連する「発明の詳細なる説明」中の記述が、「ネジはタップの軸線と一致する平面上で一様な断面をタップのネジを有する部分の全長に亙つて有する。即ちネジ山の深さはすべての点で一定である。従つて傾斜部分のために螺旋14・15のネジフランク17・17'の幅が少許異なることを除いては螺旋の断面は一様にV字形をなす。」(公報中のこの引用部分を、以下「第三段の説明部分」という。)の部分であることは疑いがない。そして、この説明部分の解釈として、
イ、タップをその軸線と一致する任意の断面でみた場合、ネジ部分の全長にわたつて(すなわち、その断面におけるネジ部分の一端から他端までの間)ネジの断面が一様であること
ロ ネジの断面をタップの軸線と一致する断面でとらえた場合、ネジはタップのネジ部分の全長にわたつて(すなわち、連続螺旋の始点から終点まで)一様の断面を有すること
の二様の解釈が可能である。
まず、ロの解釈は、回転角を異にするすべての平面上におけるネジの断面の一様性をとらえるもので、米国特許第二、八〇七、八一三号(同Re二四、五七二号)(その内容からみて、この米国特許が本件特許の基本をなす発明にかかるものであることは明らかである。)および米国特許第二、九九一、四九一号(その内容からみて、この米国特許が本件特許と同一発明者による類似の発明思想にもとづくものであることは明らかである。)の各明細書中の各該当部分の説明と同趣旨の解釈であり、また特許請求の範囲の「総ての平面」という文言上とり易い解釈である。しかしながら、ロの解釈によるときは(ネジの断面の一様性あるいはネジ山の深さの一定性を厳密に解するかぎり)、タップが半径方向の二番取りを有する関係で、特許公報中に好ましい製作方法とされている研磨車によつて本件特許にかかるタップを製造することが経験則上不可能に属するという矛盾を生ずるにいたる(研磨車以外の方法でそのようなタップの製作が可能であるかどうかは、ここでは問題外である。)。また、イの解釈は、任意の一平面上におけるネジの断面の一様性をとらえるもので、特許公報の第三段の説明部分の文理上とり易い解釈であるけれども、特許請求の範囲の「総ての平面」という表現からはやや遠い感を免れず、また第一段の説明部分によればその総てではないとしても……螺旋の大部分は……径を変化して形成する」とあつて、タップのネジを有する部分のうちには半径方向の二番取りを有しない(すなわち断面真円形の)部分がありうることを考慮すると、研磨車による製作不能という点でロの場合と異ならないこととなり、この解釈も矛盾を生ずることが明らかである。
結局、この要件についてしいて矛盾なく解釈しようとするならば、第三段の説明部分はタップのネジ部分のうち半径方向の二番取りを有する部分のみに関する記述であるという前提に立つてイの解釈をとるか、或いは、前記米国特許明細書に認められるように、ネジ断面の一様性をゆるやかな意味でとらえ二番取りにもとづく微少な差異を無視してイまたはロの解釈に従うことになるであろう。
いずれにしても、この点に関する被控訴人の、すべての含軸断面において厳格な意味でネジ山の一様性を具備するという趣旨の見解は、前記研磨車による製作と矛盾するものであつて、本件特許の想定するところではないというべく、採用できない。
5本件特許発明の(五)の要件について
この要件は、二番取りされた扇形部においてネジの直径が増減する情況を示したもので、扇形部の外径、ピッチ径および谷径の三個の直径が次第に増してゆき、やがてそれが次第に減じてゆくこと、およびその接続が徐々に行なわれるものであることを指す。
特許公報の「発明の詳細なる説明」中、この要件に関する部分としては、第一段の説明部分が各扇形部の形状の面から、また第二段の説明部分が各扇形部の形状およびそれらを接続した状況の面から、この要件につきそれぞれ記述しているのであつて、「次第に増してゆく」「次第に減じてゆく」「徐々に接続」というその増減変動の緩急の度合いを「サインカーブ」の観念を用いて具体的に規定したものであり、それが、半径方向の変位が滑らかに、かつ、ゆるやかなものであることを示していると解すべきことは前記のとおりである。
被控訴人は、三個の直径の変化が一つの平面に対して同時に等しい周期でサインカーブを描くものでなければならないとし、このことが本件特許発明の(四)の要件における、すべての含軸断面でネジ山が一様であること互いに関連すると主張するが、前記第二段の説明部分には「螺旋は……サインカーブを描く」とあつて、螺旋を一本の曲線とみて記述するにとどまり、三個の直径の変化が互いに平行な同一サインカーーブを描くということまで表現していると解すべき根拠はない。そして、被控訴人がその見解の裏づけとするような「すべての含軸断面」に関する解釈のとり得ないことは、前記のとおりである。
ところで、前記の意味におけるサインカーブを描くべき螺旋の外周形状は、外ふくらみの曲線の場合に限らず、扇形部の外周の中央部に若干の直線が存在する場合や凹み状の場合もありうるが、凹み状の二番取りのものは本件特許発明において好ましいとされている研磨操作による製作が(タップと研磨車との径の関係から)技術的に不可能であることは経験則上明らかであるから、そのような形のものは本件特許において考慮されていないというほかなく、この点から本件特許のタップは直径の変化がゆるやかなものに限定されるのである。そして、外周の一部に直線が存在する場合において、扇形部の外周のうちに占める直線部分の比率が大であるときは、螺旋は前記の意味におけるサインカーブを描かないことが明らかであるから、本件特許発明の要件を具備しないことになろう。
6作用効果の面からの検討
本件特許発明の作用効果として控訴人の主張するところ(請求の原因四の冒頭から「……作用効果を得ることができる。」までの部分)は、その限りにおいて当事者間に争いがない。
ところで、この作用効果を根拠として、二番取りにより半径方向に低められた部分は被加工物に接触せず冷却および潤滑のための通路となるだけであるから、その形状が外ふくらみであつても内凹みであつても、また直線状であつても――すなわち直径の変化の緩急にかかわらず――メネジ形成の作用効果に差異はなく、したがつてその部分の形状のいかんは本件特許発明の重要部分ではないと解するならば、それは誤りである。なぜならば、被加工物に接触するのは扇形部の最大径部およびその前後の部分であるところ、この接触部位の形状および大小(円周方向の長短、半径方向の変位の緩急)のいかんがトルクに大きく影響し、タップの摩耗や折損を左右するものであることは本件弁論の全趣旨にてらし明らかであり、しかもこの最も重要な接触部位の形状および大小を左右するものが、ほかならぬ二番取りの態様すなわち扇形部の外周形状のいかんにあることはいうまでもないことである。換言すれば、扇形部の外周形状を合理的に選択することによつてメネジ形成の作業部位と遊びの部位とが適切に配分決定されトルクの減小あるいは耐久性という作用効果につながるのであつて、これを、遊びの部位は作業と関係がないから扇形部の外周形状は任意でよいというのは、本末を誤つた議論というべきである。
したがつてまた、本件特許公報の第二段の説明部分において「螺旋は……サインカーブを描く。」と記述されているのは、単なる一実施例についての説明でないことはもちろん、「螺旋が順次隣接する扇形部で同じような状態を繰り返すことを比喩的に述べたにすぎない」というようなきわめて漠然とした意味に解すべきではない(そのような解釈は文理上も採用しえない。)。この点で、前記米国特許第二、八〇七、八一三号および第二、九九一、四九一号明細書において「螺旋は……大体において波状曲線になるであろう」あるいは「螺旋は正弦曲線またはそれに類似する曲線を表わすだろう」と説明されているのとは事情を異にしている。本件特許発明は、直截に「サインカーブを描く」と規定することによつて、前記本件特許発明の要件(三)および(五)を具体的に明らかにし、そのような特定の構成の採用によつて、すなわち、単に従来の角タップにおけるのと異なつてネジ山の峰の連なりから被加工物に喰い込むというにとどまらず、ネジ山の峰の連なりの形状自体をゆるやかな滑らかな二番取りを有するものと特定することによつて、喰い込みによる抵抗を緩徐ならしめ、よつて「半径方向の二番取りを有する新規の形のタップによつて、内部ネジは極めて容易に工作物に作られ、従来のタップに比し熱を生ずること少く、強いトルクを必要としない」という作用効果(そこに、タップの作業部位の摩耗や折損の防止も考慮されていることは、技術常識上当然である。)を狙いとしているものと解すべきである。
そしてまた、以上のように理解することによつて「扇形部」という用語の字義に即した解釈が可能となるのであつて、それは控訴人のいうような単なる「区画」の意味ではなく、二番取りしたのちの形状がなお常識的に扇形(おおぎがた)に類するものであることを示しているといえよう。
7本件特許発明と本件物件との比較
本件物件の構造中その外形(螺旋の外周形状)を、各イ号図面およびその説明書によつてみると、外形は各第二図にみられるように正四角柱形、正六角柱形、正八角柱形または正一〇角柱形をなし、螺糸は四箇、六箇、八箇または一〇箇の区画においてそれぞれ一様にほぼ直線状に走り、各区画の隣接部の曲り角には僅かに丸味が附せられている。したがつて、本件物件においては二番取りはほぼ直線状にされ、二番取りしたのちの形状は、区画の隣接部の僅かな丸味のため僅かに外ふくらみとなつているが、むしろ三角形に近いものである。
そして各区画の外周輪郭線は、その大部分が直線からなり、僅かにその両端部に曲線があるにすぎず、直線の占める長さの比率は曲線のそれに比していちじるしく大であり(その比率はイ号物件の種別により一定ではないが。)、この外周輪郭線をもつ連続螺旋を平面上に展開したとしても、螺旋は右平面に対し波長波高が正負にわたつておおよそ等しくほぼ対称の曲線を描くことはなく、正負の波形がかなりの程度に相違する非対称の跛行的な曲線を描くことが明らかである。
この点につき、<書証>に図示されたタップの外周輪郭線が「サインカーブ」を描くものであることは認められるが、同号証の図形がイ号各図面に示された本件物件の外周輪郭線と相違してはるかに丸味を帯びたものであることは一見して明らかであり、またイ号図面の(4)、(14)、(5)、(6)に相当するタップおよびそれらのタップの写真によつても、本件物件の外周輪郭線が「サインカーブ」を描くものではないとする前記の判断を左右するには足りない(附言するならば、もともとイ号物件の構造の認定はイ号図面およびその説明書にもとづいてなすべきもので、現実の物品がいかなる構造をもつているかは本訴の直接の対象ではない。)。
このように本件物件は、外周形状が直線を主体とするために連続螺旋はサインカーブを描くことなく、したがつて二番取りにおける直径の変化が滑らかさを欠き、かつ、急激であるから、本件特許発明の前記(三)および(五)の要件を具備しないものであり、したがつてまた、本件特許発明が右の要件を採用することにより狙いとしている前記作用効果を奏するものではないから、本件物件と本件特許発明のタップとのこの点の差異は、控訴人が予備的に主張するような、いわゆる均等または単なる設計変更に該当するものでもない。
8以上、被控訴人が製造販売する本件物件は、本件特許発明の前記(三)および(五)の要件を具備しないから、その他の点について判断するまでもなく本件特許発明の技術的範囲に属しないというべきであり、したがつて控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却した原判決は正当であるから本件控訴を棄却すべく、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。(杉山克彦 武居二郎 楠賢二)